【スイサレ】100DL記念おまけ SS「Yellow&FirstLove」

100DL記念のSSになります。雅視点の小説です。
ネタバレを含みますので、ご視聴後の閲覧を推奨します。

 

その日はたまたまマネージャーが体調不良で欠席した日だった。そりゃ風邪も引くわ、と思うような晩秋の放課後の風は容赦なく、それでも小一時間グラウンドで走り込んだりしていれば、汗は際限なくアンダーシャツを湿らせてゆく。

「鷹森、ちょっと」

顧問の先生が俺を手招きした。両親より年齢が上そうなその男の先生はいつもあまりやる気がなさそうだ。でも野球にそこまで燃えているわけでもない俺からすると丁度いい熱量でもあった。俺は坊主頭に滲んだ汗を、帽子を取ってブンブンと犬のように頭を振って払うと、先生の元まで走った。

「はいっ」
「今日マネ休んでるから、代わりに備品頼んでくれん? いや、鷹森ってけっこう細やかな気配りできる方だって思ってさ」

申し訳無さそうに、先生は赤ペンのキャップの部分で、薄くなった頭を掻いた。

「えーっそんな、わかんないっすよ俺」

細やかな気配りができるできないなんて、そんな曖昧なことで重大な仕事を任されたくない。俺は手のひらをおおげさに振って拒否の態度を見せた。

「提出、今日の18時なんだよ、まぁまた来月あるから。今回は多少過不足あっても大目に見るから、なっ?」

そう言って、備品注文のプリントが挟まったバインダーを押し付けられてしまった。過不足があっても大目に見る、とまで言われてしまったら、絶対イヤですと強く言いにくい。

「頼んだぞ」

断りの台詞を探してモゴモゴ言っている間に、先生は俺の肩をポンと叩いて遠くへいってしまった。めっちゃ無責任だな大人のくせに! 俺が静かに憤っている様を、チームメイトが向こうで笑うのが見えた。あいつら手伝えよな……。

押し付けられたバインダーを見ると、一ヶ月前の注文履歴の書かれた表はまだ残っている。グリップテープやらコールドスプレーやらが数個単位で注文されているようだが、これは部室に行って在庫を見てみないとわからない。

「部室行ってきます!」

先輩たちに大声で頭を下げると、俺は校舎の裏手にある部室に走った。走ったと言っても先生や先輩の目の届くところだけで、校舎の角を曲がってからはすぐ歩いたけど。

見慣れた部室のドアを開けると、むわっと革製品に汗が混じったような独特の匂いが鼻をついた。電気をつけると、そこらに飛び散ったたくさんのセーターやらカッターシャツやらの制服たちが、諸手を挙げて歓迎してくれた。

「あーもう、みんなグチャグチャに脱ぎ散らかして……」

俺は一人で眉をしかめたが、自分もだいぶ脱ぎ散らかしていることに気づいた。マネもいつもこんな気持ちなのだろうか。パイプ椅子の上や床に散らばった制服たちが、何だか抜け殻のようだ。

この散らかり具合の中、在庫を引っ張り出して確認して、次に使って余るくらいの分を予測して紙に書いて、また在庫をもとに戻すのか。部室は広くないとはいえ、意外と骨が折れる作業のような気がする……。練習の方が楽だったんじゃないか。というか、こういうのって先生がやるんじゃないのか。学生に任せて大丈夫なのか?

腐るもんじゃないし、多目に発注して部室に置いておけば……とも思ったけれど、夏の部室に放置していたグリップテープが熱でネチャネチャになってしまったことを思い出して、やっぱり必要な分だけ注文すべきなのかな、とも思い直した。

「ん〜〜」

奥の方にある段ボールを引っ張り出して中身を確認したが、誰かが持ってきて放置していたグラビア雑誌が数冊に、古くなったグローブや何故か軟式のボールなど、要らないものが入っているだけだった。普段マネに任せているので、どこに何があるのかあまり理解していない。部室を使っている俺たちでもそうなんだから、ろくに立ち入らない先生なんかだと、全くわからないだろうな。

仕方ない、頑張るか。俺は腹を決めて、さらに他の段ボールを開けることにした。ふと、砂を踏みつけて走ってくる軽い足音が聞こえ、部室のドアがノックされた。

「はい、開いてます」

野球部の中にノックなんかするような丁寧な奴がいたかな、と思い振り返った瞬間に、ガチャリとドアが開いて、隙間から女の子が顔を覗かせた。

「あの、ここ、野球部……?」

彼女は肩下まで伸ばした髪を戸口から揺らめかせて、俺の顔をじっと見た。
女。同じ学校の制服を着た女。共学とはいえ、普段男に囲まれて生活している冴えない野球部の俺からすれば、異次元の存在に等しい。それが今、俺の顔面をしげしげと見ている。

「あっ、いっ……そ、そう、そうです」

緊張で生唾が飲み込めないまま返事をした。声が裏返ったのを悟られないように、意味もなく手元の段ボールの蓋を開け閉めした。

「よかった、合ってた〜! あの私、三年でここのマネージャーの友達なんだけど、ラインで伝言もらってて」
「デンゴッ……あっス杉浦マネジャからっ、すか」

相手が女の子というだけで上手く喋れなくなる自分を殴りたい。俺は立ち上がって、彼女を部室に迎え入れた。臭くて汚くてすいませんと頭を下げると、彼女はそんなことないよ、と柔らかく笑った。

「杉浦ね、今日風邪で休んでるんだけど、コレ部員の子に見せてって言ってきて……」

今日欠席した杉浦マネの友人だという彼女は、スマホの画面を俺に見せてきた。……近寄るとシャンプーのいい匂いがした。

マネが送ってきたというその画面には、
『野球部の備品発注、個数書いておくから誰でもいいんで部員の子か顧問に伝えてほしいです(17時くらいまでに)』と、書いてあり、その下には何が何個必要という項目がずらっと書いてあった。

「あっビヒ、備品の。今からやろうとしてたんで助かります」

本当に助かった。マネが責任感があって、しかも几帳面な人でよかった。まさか風邪でダウンしながらも、野球部のことを考えてくれているとは。しかもマネにとっては、三年の二学期ももう終わろうという頃なのに。正直いち生徒がそこまでしなくても……と思ったが、俺にとっては渡りに船だ。俺はパイプ椅子に放置していたバインダーを手に取った。

「画面、あの、うつしてもいいっすか」
「あ、どうぞ……というか、めっちゃタメ語で喋っちゃってるけどごめんなさい。えーと、何年生?」

彼女はスマホの画面をこちらに向け、俺のことを伺った。

「俺一年っす、タメ語でダイジョブっす。え〜と、ロジンと……あ、単二電池もいるのか……」

顔を見つめられる気恥ずかしさに、ついつい目をそらして独り言を言ってしまう。スマホの画面が消えてしまわないように時折タップしてくれる指先が目に入る。ピンク色のキレイな爪が、画面を叩く少し硬そうな音。指すら自分と異質すぎて、なんだかどぎまぎする。俺は自分の童貞力を恨んだ。この人の方こそ、マネの友達ってことは三年なんだろうか。二つ上か……年上のお姉さんだな。

「…………」

しまった。沈黙だ。お互い何も喋らないので、紙の上をペンが滑る音が部室内の唯一の音になってしまった。いや、でももう少しで書き写し終わる……! それまでの我慢だ、沈黙なんて何も感じてない、気まずくなんてないよというふりをするんだ。

「名前、何?」

唐突にそう聞かれて、ペンを落としそうになった。

「えっお、オレ、俺すか」
「キミ以外いないでしょ」

彼女……先輩は笑った。俺も笑おうとしたけどうまく行かなくて、口角を不自然に上げた卑屈っぽい笑みで返してしまった。

「鷹森っす、鷹森雅……」
「雅くんね。杉浦には雅くんが備品発注してくれたよって伝えておく」

あ、そっか……別に俺個人に興味を持ってくれたわけではなくって、マネに報告するためか。そりゃそうだよな。

ちょっと残念な気持ちにはなったけれど、そんなもんなんだと自分に言い聞かせた。放課後の部室で女の子と二人なんていうボーナスステージは、今この一瞬だけ。俺がこの発注書を書き終えたら何事もなく解散。そうに決まってる。

「あっ、ここから見る夕日キレ〜〜〜」

先輩は、小さな窓から見える夕日に感動している。俺たちの部室は、部室というより小屋に近いので、換気用の窓も最低限だ。その小さな窓を覗き込んで、黒い瞳に朱い陽の反射を映す先輩。……正直、見惚れるくらいキレイだった。

「私も、部活やってればよかったな」

先輩は外を見ながら髪を耳にかけた。

「雅くんはいいね、まだ一年だから、これから青春だね」

少し寂しそうに言う先輩に、なんと返していいかわからなかった。曖昧な相槌を打つ俺に、先輩は咎めるでもなく、

「今度、野球部の練習試合でも見に行こうかな」

と言った。先輩の頬に夕日の朱が差していてキレイで、部室もいつの間にか黄色に染まっていて、俺の心臓の音は変だし、なんだか本当に異次元に来てしまったのかと思った。

 

「兄ちゃん、なんでこんな時間に腕立て伏せしてんの……?」

弟の慈(いつく)は、夜食のおにぎりを食べながら目を丸くしている。

「レギュラーになり……っハァ、レギュラーになりたいからに、決まってんだろ……」

慈が余計なことを言ったせいで、今何回目かわからなくなってしまった。俺はべしゃっと崩れ落ちると、熱く火照った頬をフローリングの床に押し付けた。

「……何か知らないけど、頑張りすぎるの兄ちゃんのいいとこでもあり悪いとこでもあり、って感じだよな。まあ無理しないで」

無理をしない自然体のくせに俺より体格のいい弟に言われると、頑張ろうとしている心が挫けそうになった。

正直、ほんとに先輩が試合を観に来るかなんてわからない。ただの社交辞令ってやつかもしれない。でもまあ、マネージャーの友達なんだから可能性はゼロじゃない。今はSNSも電話番号も知らない、名前しか知らない……けど、野球でいいとこ見せたらさ。どっかで繋がれるかもしれないし。そしたら。
そしたら、俺……俺はどうしたいんだろ。

「兄ちゃん、食べないんだったら片しといてね。自分は寝るから」

弟が夜食を食べ終え、二階に上がっていっても、俺は床に突っ伏していた。

結局あの後先輩とは「杉浦マネは野球部ではどう?」という話になり、連絡先も交換できずに終わった。けれど、マネージャーの杉浦とはかなり仲が良いらしく、彼女の事を話す彼女の表情は楽しそうだった。

夕陽に照らされた先輩の、はにかんだような笑顔が鮮烈すぎて忘れられない。他のことをしていても、何度も頭の中に蘇ってくる。可愛くて、キレイで、近づきたくなる、触れたくなる。

「これが恋か……」

異性と、自分の情欲をまともに意識したのはこれが初めてで、俺はこの気持ちをこれから、初恋と名付けて大切に呼ぶことにしたのだった。
初恋は実らないなんてそんなの大嘘だと、数年後の俺は喜び叫んでいる。
そのことをまだ、俺は知らない。