100DL記念の後日談SSになります。ヒロイン視点の小説です。
ネタバレを含みますので、ご視聴後の閲覧を推奨します。
があがあ。があがあ。
「やあやあ、君たち可愛いなあ。ほら、これ食べる? その辺に落ちてた草だけど」
「……」
アヒルと戯れるお兄ちゃんを横目にみながら、何度目か分からないため息を吐く。
「ほらほら美味しいよ~……あ、やっぱいらな痛ッッたァ!? ちょ、この子今僕の指噛んだあ~!」
「お兄ちゃんさあ……」
「ん? ほらみてここ。あの子ら、あんな可愛いお口しておきながら噛まれると痛いのなんの。やっぱりお前は優しいなあ。噛まれた僕の事、心配してくれるんだね?」
「そんなんだからアヒルにまでウザがられるんだよ! いい加減今後どうするかもっとちゃんと話し合おうよ!」
お兄ちゃんと実家を出て連れてこられた都内の公園。
『僕に任せてくれれば大丈夫さ』なんて言葉を信じてついて来た私が馬鹿だった。
こいつ……何も考えてない。
「いやあ、ははは。ちょっとお天気がいいもんだから公園でもどうかな~って思ってさ。それに焦ったって何も始まりゃしないさ。のんびり、ゆっくりやってこうよ。僕達にはこれからいっぱい時間はあるんだから」
大きく背伸びしながら、お兄ちゃんは水面を見つめている。
「でも……」
「それにずっと憧れてたんだ。お前と……恋人としてこんな風にデート出来るなんてさ。もう少しくらい、ね?」
にこっといたずらっ子みたいな笑顔を向けられて、口から出かかっていた文句が引っ込んでしまった。
こういう時のお兄ちゃんの笑顔ってほんとズルい。
「はあ、もう好きにすれば……?」
頬に感じる熱を隠すように、お兄ちゃんから顔を背けて私は虚空を見つめた。
「みてみて〜アヒルちゃんボート! 可愛い〜!!」
「……まさか、アレに乗りたいの?」
公園の中央、広い園内のメインに据えられている大きな池には、アヒルだか何かの鳥を模したボートに乗った人たちが何組かいた。
「お兄ちゃん、一度でいいからあーいうのにお前と乗ってみたかったんだよ〜!」
「やだ! あんな晒しものみたいな乗り物乗りたくない!」
「え〜、でもお前言っただろ、好きにすればってさあ。なら一緒に乗ってくれてもいいだろ、ね? お願いお願いぃ〜!」
「……」
眉間に力が入りすぎて、痙攣しそう。
いい歳してアヒルちゃんボートに乗りたいとか、ほんとお兄ちゃんの精神年齢っていくつで止まってんの?
ため息さえ吐くのに疲れてただ睨む私を、お兄ちゃんはうるうると訴えかけるような目で見ている。
「も〜わかった! 乗ればいいんでしょ、乗れば!!」
「やったーーー! じゃ、さっそく行こう今すぐ行こう、ほらほらぁ」
「ちょ、ちょっと押さないでよ!」
お兄ちゃんに背中をグイグイ押されながら、仕方なく券を買ってボート待ちで賑わう列に並んだ。
並んでる人たちは親子連れもいるけど、大半は男女のペアばかり。
この人たち、みんな恋人同士なのかな。
端から見たら私達も……?
地元ではウチの家は昔から続く古い家のせいもあってかどこに行っても知り合いばっかで、すごい窮屈だった。
今思えばお兄ちゃんはそんな一家の長男だから当然、周りの目も厳しかったろうに私の前ではそんな重圧なんて気にしてる様子も見せず、ヘラヘラしてたっけ。
……実際、ほんとに気にしてないのかもしれないけど。
そうだ。ここは地元じゃない。
私達兄妹の事をジロジロ荒探しするみたいに見る人たちはいないんだ。
もう……他の人の目なんて気にしなくていいんだ。
私も自分に素直になって、純粋にお兄ちゃんとの時間を楽しんじゃおう。
「次の方どうぞ〜」
「ふふっ、早く乗ろ乗ろ!」
そう言ってお兄ちゃんの指に自分の指を絡ませた私を一瞬、驚いた顔をしてお兄ちゃんが見つめた。
けどすぐ、ウザいくらいの満面の笑みになって私に微笑み返す。
「も〜こいつぅ、僕とそんなにボートに乗りたかったなんて可愛いやつだなあ☆」
そんな風に笑い合いながらボートに乗り込んだ私達に投げつけるように、声が聞こえてきた。
「ここ来たカップルって、みんなこぞってボート乗りたがるけど何か楽しいんだか。子供じゃあるまいしさあ」
「ほんとほんと。ボートに乗ったカップルは別れるってジンクスあるのにね〜」
「……」
わざわざボートに乗る人たちの前で言うなんて性格わっるいなあ。
ま、でもそんなの本気にするなんて小中学生くらい……。
「ちょっと聞いたァアッ!? これ乗ったカップルって別れるとか、あそこの子達言ってたよねっ!? ……降りよう。降りまぁす! ちょっとスタッフさ……」
「うっせえわ!!!」
「へぶぅっ!?」
いつもみたいに鳩尾に拳を打ち込まれて悶えるお兄ちゃんと、どよめく周囲の視線を無視して怒りに任せてペダルを漕ぎだした。
「ほらほら、みてご覧。桜が綺麗だよ。いやあ、ボートから見る桜ってのも中々オツなもんだねえ」
はらはら舞い散る桜に手を伸ばしながらお兄ちゃんが呟く。
池の周りを囲むように咲く桜は五分咲き程度で、お兄ちゃんと同じように他のボートに乗った人たちも思い思いに桜を楽しんでるようだった。
正直、今の私に桜を楽しむ余裕なんてない。
さっきから散々お兄ちゃんに振り回されてばっかりで、イライラが収まらないんだもん。
ウザい。やっぱりお兄ちゃんって……ウザい!
「ん? どうしたんだい、そんなふくれっ面して。ああ、ごめんごめん! 僕が桜にばっかり構っているから、ヤキモチ焼いちゃったんだね? 怒った顔も可愛いけど、僕はお前の笑った顔もまた見たいなぁ。ほら、スマイルスマイル♪」
「誰のせいでっ…!!」
「おお、落ち着いて! さすがにこんな狭い中で暴れたらお兄ちゃん水の中に落っこちちゃうよ!? 僕はただ、お前と一緒に桜を楽しみたくてだね……」
拳を振り上げて、ふと止まる。
違う。こんな事したいわけじゃない。本当は私だって……。
「私だって、お兄ちゃんともっと恋人らしいデートしたかったのに……」
振り上げていた拳をそっと下ろして膝上で握り込む。
何だか今度は悲しくなってきた。どうしていつもこうなっちゃうんだろう。
瞳を閉じて胸の奥から湧き上がる感情をぐっと押し込めようとしたその時、あたたかなものにふわりと抱きしめられた。
「……ごめんよ。お前と過ごすこの瞬間が愛おしくてしょうがなくて……つい、調子に乗っちゃうんだ。お前が嫌だったらもう止める。その……調子乗らないようにするから、そんな顔しないでおくれ」
私の頭を撫でながら心底不安げな顔をしてこちらを覗き込むお兄ちゃんが可愛くて、何だか怒ってた私が悪い事したみたいな気分になってくる。
……ズルいなあ。お兄ちゃんってほんとズルい。
「いいよ別に……お兄ちゃんはお兄ちゃんで。いつものお兄ちゃんが嫌いなワケじゃないから……」
お兄ちゃんの腕の中に体を預けながら、ぽつりと呟く。
「……じゃあ恋人らしいこと、しよっか?」
くすりと笑い声が聞こえたかと思うと、お兄ちゃんが私に顔を近づけて来た。
唇が触れて、ゆっくり探るように舌が入ってくる。
「んっ……ふっ……」
歯列を撫でられ割り入って来た舌がねっとり絡まってくる。
ちゅくちゅくとそのまま絡まった舌を吸われて、じわりと体が熱くなるのを感じる。
「んっ…んん!!」
何これ…この間のキスとは全然違う。
初めてキスした時のたどたどしかったキスなんかじゃない。
舌で味わうように口中を愛撫される感覚にくらくらする。
熱くなる体に比例して湧き上がる羞恥心と理性のせめぎ合いで頭がごちゃごちゃして……。
このままじゃマズイ……!
「やっ……めっ……」
辛うじて発した言葉が届いたのか、お兄ちゃんの愛撫が和らいだ。
少しの間を置いて、そっと唇が離れる。
唇が離れる最後、下唇を軽く吸われてぞくりと背中が粟立った。
なんで、なんで急にキスが上手くなってんの!?
……お兄ちゃんのくせに。
「……どうかなっ!? お兄ちゃん、チュウ上手くなってるかな? お前が感じてくれるように色々やってみたんだけど……」
「知らないッッ!!」
褒めてくれと言わんばかりの笑顔で迫ってくるお兄ちゃんに顔を背けて、羞恥心をかき消すように声を荒げた。
そうだ……お兄ちゃんってば、昔から変な所で要領が良かったんだった。
まさかこの間の一回のキスでここまでキスが上手くなるなんて。
童貞だったくせに。童貞だったくせに!
「あれれ? ど、どうしたんだい? 何で僕の事睨んでるの? もしかしてイマイチだった? じゃあ、もう一回……」
んーと口を尖らせて私に迫ってくるお兄ちゃんを全力でぶん殴ろうと身構えたその時、スマホの着信音が鳴り響いた。
お兄ちゃんが眉間に皺を寄せて、音の方を凝視する。
「しまった……さっきスマホ開いた時に電源消すの忘れてたんだった」
ゴソゴソとポケットからスマホを取り出して画面を見つめたまま、一向に出ようとしないお兄ちゃん。
「何してるの? 待っててあげるから電話出たらいいじゃん。ずっと鳴ってるからよっぽどお兄ちゃんに用があるんじゃないの?」
「ははは……用ねえ。そりゃあるだろうねえ。うーん……」
何だか気まずそうなお兄ちゃんの様子に一抹の不安を覚える。
まさか……借金取りからの電話とか!?
考えてみれば職を転々としてきたらしいお兄ちゃんの事だもん。
当然、生活するのにお金がなくて安易にサラ金とかで借りてる事だってありうる。
じぃっと睨みつける私の視線から逃げるように少し離れた後、お兄ちゃんは重たげにスマホの画面を押した。
「あ、もしもしミヤビン元気~? どうしたのカナ~……」
「先輩ッ!! どーして今まで電話出てくれなかったんすか!? 急に店辞めるとか言い出したから店長カンカンに怒って違約金払えとか、最後に一緒にいた俺まで引き留めなかった罰とかで金払えとか連れ戻して来いとか言われちゃって……俺……」
少し離れた位置にいる私でさえうるさく感じるほど、スマホから焦った男の人の声が聞こえてきた。
お兄ちゃんは一瞬、私の方に気まずそうな視線を投げかけた後、再び電話に応えた。
「いやあ、何か巻き込んじゃってゴメンゴメン。ミヤビン、真面目だからだなあ。意地の悪い奴らの事なんか聞かないでいっそ君も辞めちゃいなよ。うんうん、その方がいいって!」
「はぐらかさないで下さいっ! 先輩、店に戻って来る気ないんすか? 今なら店長も今までの事不問するって言ってますし……」
「悪いけどもう戻る気はないよ。僕、ようやく自分の居場所に帰って来れたからね」
「自分の居場所……ですか?」
「そう、自分の居場所。だからそっちに戻る気はもうないよ。お金の事うんぬん言うなら、僕の部屋のもの、全部売っちゃっていいから。もらった時計とか適当に売ればそれなりのお金になるだろ? ミヤビンが欲しいものがあったら持ってちゃっていいからさー」
「でも……」
何だろう……すごく揉めてる。
借金取りからの電話じゃないみたいだけど、会話内容から察するに辞めた職場からの電話なのかな。こんだけ鬼気迫った電話してくるなんて、お兄ちゃんどんな辞め方してんのよ……。
「はあ……ぼかあ悲しいよ、ミヤビン。ホストになって失敗ばっかの君をフォローしてあげたのは誰だい? 寝ゲロ吐いて死にかけた君を介抱してあげたのは誰だい? 恩を仇で返すってこういう事を言うんだね……」
……ホスト? 聞き捨てならない単語に思わず耳を澄まして会話に集中する。
「それは……先輩には感謝してますけど……」
「だろ!? そう思うならここは一つ、ほっといてくれないかな。何、お店なら大丈夫。ホストが蒸発するなんてこの界隈ではよくある事だから。その分、ミヤビンがNO1になって、お店を支えてあげればいいじゃないか。故郷のお母さんのために仕送りしてるんだろ? あれ、それとも飼ってるモルモットの病院代だっけ? まあ何でもいいや。誰かのために頑張るミヤビンのその気持ち。お天道様は必ず見てくれるはずさ」
「先輩……」
「そういう訳だからミヤビン、がんばれよ! じゃ、あとよろしくー」
「先輩!? ちょ、せんぱ……」
「着信拒否……っと」
軽やかに通話を終えて着信拒否にするその動作……手慣れてる。
「お兄ちゃん……ホストってどういうこと?」
「え、いやーあのーその……えへへ♪」
ぺろっと舌を出しておどけて見せるお兄ちゃん。
なにそれ。まさかそれでごまかしたつもりなの……?
わなわなと怒りに震える私の殺気が伝わったのか、お兄ちゃんが慌てた様子で弁解しだした。
「ほ、ほらさ! 大都会で生きてくためには手段は選んでられないわけだよ。それに職業に貴賤はないだろ? ホストだって立派なお仕事だよ、うん」
「お兄ちゃんにホストなんて務まるの? なんか、さっきの電話も揉めてたし……」
「失礼な! こう見えてもお兄ちゃん、そこそこ人気あったんだよ? だからこそ、引き止めも鬱陶しくてさー。困っちゃうよねえ。あは、あはははっ!」
「困ってるのは電話してきた後輩さんの方でしょ……」
「そりゃごもっとも! いやあ、お前の切り返しってばどんどん強くなってきてお兄ちゃんいつか砕け散りそう……ははは」
居心地が悪そうに瞳を泳がせるお兄ちゃんに、今日一番深い溜息をついて答える。
「もういいよ……ある意味、型に嵌まらないお兄ちゃんらしい気もしてきたし。それにもう、過去のことだもんね」
「そうそう! 大事なのは今、これからだからねえ。いやあいい事言うなあ」
「そのこれからの事についてアテでもあるの? お兄ちゃん」
「いやあ、まあ……ないこともない……のかなあ?」
「なんで私に聞くんだよッ!!」
思わず反射的にツッコんだ私を、なぜか嬉しそうにニヤニヤとお兄ちゃんは見つめている。……何? 何なの?
「ごめんごめん、本当に行くアテはあるから心配しないで。それよりいいお天気だよねえ。お兄ちゃん、何だか眠くなってきちゃった」
「ちょ、ちょっとこんな所で寝ないでよ……」
そう言い終わるより早く、お兄ちゃんは体を伸ばして背もたれにもたれかかってしまった。
「ほら、お前もおいでよ。お兄ちゃんが腕枕してあげるからさ」
おいでおいでと手招きするお兄ちゃんに、これ以上何か言うのも面倒くさい。
それに……実は私もこの陽気のせいか少しだけ眠かった。
促されるまま、お兄ちゃんの腕の中に収まってみる。
でも、お兄ちゃんの顔を見るのは何となく恥ずかしくて背を向けてしまった。
「よしよし、素直で可愛いなあ」
素直に従った私に気を良くしたのか、お兄ちゃんは私の頭を撫でくりまわしてくる。
ウザイ……ウザイんだけど、思ったより悪い気はしなかった。
「……」
こうしてボートに揺られていると、水面や木々のそよぐ細やかな音。
遠くに聞こえる喧騒が何だか心地よい。
ふと、そんな癒される音たちに交じって囁くような声が聞こえた。
「……やっぱり、お前といる時の自分が一番好きだな。お前といると僕は『僕』でいられる。そんな感じがする……」
「それってどういう意味……」
「……スゥ……スゥ……」
お兄ちゃんに向き直ってはたと止まる。
こいつ、もう寝てる……。
前髪を風にそよがせ、気持ちよさそうに眠るお兄ちゃんはこちらの眠気を誘うには十分だった。
春の陽気に任せて、私もこのまま眠ってしまおうか。
目覚めたら、隣にあなたがいる。
それはとても幸せな事だと思うから。